福ちゃんだめうのブログ

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僕と静岡と山形と ~後編~

どうもです。前回に引き続き書いていきたいと思います。今回は自分が一番人生の中で辛かった山形大学編です。

 山形大学

入学

浪人を決意していたのにも関わらず、自分の意志の弱さから入学してしまった。

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入学式の思い出は、時間ギリギリに入場して花笠音頭を見ただけ。
そこから私たち学生は山形大学小白川キャンパスにバスで移動させられた。
昼食をとるのだが、そこで私は気付いてしまった。
「一緒に食べる友人がいない」
入学式前にオリエンテーションのようなものがあったのだが、わざわざ静岡から山形にそのためだけに行くのには気が引けて行かなかったのだ。そう、私は大学生活のスタートダッシュに失敗したのだ。誰もいないグラウンドで独り蒸しパンを食べていたのは今でも思い出せる。

ガイダンス

そんな失敗を取り消すかのように私はガイダンスの時に周りに積極的に話しかけて友人作りをしていった。そうすると自然と輪ができてとても嬉しかった。二浪の友人、同じ趣味のサッカーの友人、バスケが上手い友人,,,,
これから楽しい学生生活が始まると思うと、とてもわくわくした。

履修登録

山形大学履修登録は最初から学生が自由に講義を選択してく方式をとっていた。私は友人と一緒に決めようかと誘ったところ返ってきたのは

「一人でやりたいから」

と断られてしまった。私は家の中で悲しく履修登録をしていた。
この時から私の学生生活は怪しくなっていった。

ある講義との出会い

そんな中で、私は「山形の農業を考える」という講義を履修した。この講義を通して私は農業への興味が再加熱したのだ。私の中でこんな思いが芽生える「農業をもっと詳しく勉強したい」と。

衝突

そんな思いを抱きながら私は親に早速電話した。返ってきたのは「は?」
当たり前である。初めて親元から離れた息子が一か月も経たないうちに大学を辞めると言い出してきたのだ。一年通ったのならわかるが一か月で辞めたいと言い出してきたのだ。金銭面も考えると「じゃあ、なぜ、山形大学に行ったのか」と思う。ここから三か月にわたって親とのバトルが始まった。

 

仮面浪人決意

私は一度決めたことは、なかなか諦めきれずに食らいついていく性格だ。その結果、仮面浪人を決意してから私は貯金をほとんど切り崩して参考書を買い漁った。(編入にしなかったのかと聞かれることが多いが工学部から農学部への編入は難しく、さらに編入予備校が山形には無かったのだ。)
そこからの私の学生生活は孤独の始まりだった。大学入試で役に立つ講義は全て出て、関係のない講義はどんどん切り捨てた。そうして私は半年間、誰ともしゃべらずに講義中に内職をして、図書館の閉館まで問題集を解き、家に帰っても問題集を解いていた。ひたすら勉強をする機械となっていた。高校時代にもっと勉強をしていればと後悔をにじませながら8月まで耐えていた。
そんな中、最初は反対していた親から静岡大学でなら仮面浪人をしても良い」という了承を得たのだ。どんな手のひら返しがあったのかは私にもわからないが安心したのを覚えている。
そうして私は夏季休業を利用して4か月過ごしたアパートを引き払って実家に戻ってきたのだ。
温かいご飯が毎日出てくる。勉強にだけ集中できる環境。こんなにありがたいことはなかった。親のため自分のためにも「このチャンスを無駄にしたくない」と必死に勉強した。
(予備校時代のことは話すに値しないから読者諸君に想像してほしい)

二回目のセンター試験

そうして始まった二回目のセンター試験。結果は

「大成功でした」

(センターの結果の紙失くしたからゆるちて)
無事に静岡大学 農学部 生物資源科学科」に出願できたのだ。
二次試験も得意な「数学」と「化学」であったため合格を確信していた。

二次試験

余裕ぶっこいて挑んだ二次試験。午前中の「数学」から雲行きが怪しくなる。「私はこんな問題で躓いている場合ではない」と。解けないパニックから焦りが見えて何も解けなかったのだ。しかし、私は「化学」で取り返そうとすぐに切り替えができた。
そうして迎えた午後の「化学」。計算量が多いのである。昼食後に普通眠くなるはずなのだが、私は山のような計算量に圧倒され眠気なんざ感じなかった。ただ、焦りしかなかった。
二次試験を終えた後、私の感想は「不合格」と感じた。あれだけ必死にやっても落ちるのかと思った。涙が止まらなった。親に申し訳ないと思った。また、山形大学に戻るのかと思った。

合格発表

3月6日、とうとう来てしまった合格発表の日。私はパソコンを見るのが怖かった。いやいや仕方なくパソコンを見ると、そこには私の受験番号があったのだ。そう合格していたのだ。その瞬間、今までの一年間の孤独だった山形大学時代、必死に勉強した予備校時代、色々なものが報われたと思った。こうして私の仮面浪人生活は成功で終わった。

合格した後に親になぜ仮面浪人を許してくれたのかを聞いた。
すると親は「実際、大学に入ってみないと自分に合うか合わないかわからないし、一年や二年の遅れはすぐに取り返せる」と言ってくれた。私はこのことを聞いて親ってスゲーなと思いましたね。

まとめ

色々な事が去年ありました。内容的には完結に書きました。あの頃をあんまり思い出したくなかったからです。
私は仮面浪人してよかったと思います。私の好きな農業のことを勉強したり実習をしたりして楽しいです。山形大学のことがあったからこそ、今の静岡大学で頑張れる私がいると思います。

ここまで見てくださりありがとうございます。これで私の過去は完結です。
これからはいろいろなことをレポートしていこうかと思います。

 

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